夏の風物詩 花火を楽しもう!!のTOPに戻る

隅田川の花火


私は以前、両国の会社で仕事をしていました。両国という土地柄か、浴衣姿の力士があちこちで見受けられ、ちゃんこ屋さんなどの食事処もあり、風情のあるいい街でした。

ある日の夕方、会社でディスプレイとにらめっこをしていると、会社のビルを揺るがすような音が飛び込んできました。
そうです… その日は隅田川花火大会の日だったのです。

隅田川花火大会って、江戸時代から開かれていたのでは?と思った方も居るかもしれません。
実は隅田川花火大会という名称が使われるようになったのは、昭和の終わりからのことで、それ以前は両国の川開きと言われていました。打ち上げ場所も現在より下流の両国橋辺りが中心だったそうです。

川を開くというのは、海開きやプール開きなどと同じニュアンスだと思えばいいようです。
江戸の頃には、川開きの日から3ヶ月ほどが納涼シーズンで、川端の料理屋が夜間営業し、大勢で賑わっていたようです。

第一回の隅田川花火大会は、両国の川開きが開催されなくなってから17年ぶりの花火大会でした。
その間、花火大会は行われていませんでした。

交通量の増大や、建物の密集、そして隅田川が汚染されてしまっていた事が開催されなかった原因だったようです。
中止となる直前、昭和34年には5尺玉の打ち上げも禁じられています。

一時は、周辺の住民でさえ近づくのを嫌がった隅田川ですが、現在は水上バスが行きかい、川の水も澄んで泳ぐハゼなどが見えるまでに復活しています。

両国の川開きは、江戸時代、享保18年(1733年)にさかのぼるそうです。
八代将軍吉宗が、悪疫退散と、伝染病などからの死者の霊を弔うために両国橋の近くで「水神祭」を行い、この時、川端の料理屋が死者の霊を供養する会を催し、その余興として幕府の許可のもと、花火を上げたという記録が残っています。
翌年も同じ様に水神祭は行われ、同時に花火をあげる事が年中行事になったようです。

旧暦の5月28日のこととされていますので、今で言う7月12日であるそうです。
現在5月28日に花火の日があるのはこの話に由来するそうです。

隅田川花火大会、歴史は新しいようですが、本当は江戸時代から続く習慣と思うとそこにはまた、風情が出てきます。

関連コンテンツ

東京湾の花火

東京湾大花火祭は、総打ち上げ数約12000発、都内で随一。海上で打ち上げられ、屈指の規模を誇る花火大・・・